元興寺の屋根の一部に、飛鳥の法興寺から運ばれて来た瓦が現代まで使われてきたことはすでにご紹介しましたが、やや時代が下った奈良時代(710〜794年)の瓦が一部に使われている寺院としては、唐招提寺金堂・講堂、東大寺法華堂、法隆寺東院礼堂などがあるそうです。鎌倉時代(1185〜1333年)や室町時代(1338〜1573年)の瓦ともなれば、由緒のある古い寺なら珍しくないといいます。
ところが、平安時代(794〜1185年)の瓦はめったに見つけることができないのだそうです。
これは、この時代、瓦の製造技術が低下したためだともいわれます。
瓦の製造技術の低下は奈良時代から始まったと指摘する専門家もいます。百済から瓦の製造技術を学び製作に意欲的だった飛鳥・白鳳時代(文化史上の時代区分で、通常は593〜710年ごろをさします)は瓦の質も美しさも最高だったけれど、国分寺や国分尼寺建設のための需要などもあって、瓦の量産が進んだ奈良時代になって質が低下しはじめたというのです。やはり、何事も初心が大切だということでしょうか。
ただ、奈良時代に瓦の技術(造る技術と葺く技術)が全国各地の国分寺の建設等によって日本国中に広まったことは、国全体としてみれば一つの進歩といえるでしょう。またこのころから、それまで帯状にした粘土を桶状の木型に巻き、それを2つ、または4つに割って成形していた「桶巻き作り」から、瓦の形をした木型に粘土をはり、たたいて成形する「一枚作り」が一般に行われるようになって生産性が向上しています。
どこのどんな窯で誰が製作したかによって、当然、瓦の質は変わってきますから、一概にどの時代の瓦が良く、どの時代が良くないとはいえないかも知れません。ただ、わが国の瓦の質が大きく向上したのは室町時代だということは、多くの専門家が共通して指摘するところです。室町時代の瓦については、後にあらためてご説明します。
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